2011年11月30日水曜日

遊SJーその2-

11月25日に書いた続きです・・・・・
そんなわけでイベントに参加。最初は2万人でギネスに挑戦。
黄色タオルを2万人で繋ぎ「横綱」(きずな)ギネスに認定さてました(((*^ 0 ^*)))
そのイベントで遊助とジェットコースターに・・・・絶叫が苦手な私にとっては遊助と一緒に乗れる緊張と恐怖の緊張でドキドキ。
20人位で乗ったけど案外くじ運はいいみたい(vー。ー)3列目。近いかな・・・・始まると遊助は見れず・・・・・・・(^^;・・・・・怖くて絶叫しまくり、「ミツバチ」が流れていたけど、全然聞き取れない・・
すごーくハードな1日でした。
       (さるっちん)

2011年11月29日火曜日

紅葉と言えば(*^ ^*)

紅葉の高尾山というと昨日のように思い出すことがある。それは田舎から姪が上京した時のこと。
先程まで見ていたテレビにあまりにも綺麗な紅葉にうっとりしていた私は高尾山へ思いを馳せ皆で出かけることに(((^ 0 ^)))
車中、我が子を含め甥や姪の会話も弾み笑い声が絶えず物静かな甥も久々の兄弟一緒の行動にとても楽しそう!賑やかな時間が過ぎあっという間に到着。
赤や黄色に色づいた紅葉を目の前にして姪の一言「紅葉はめずらしくないんだ~ 自宅の後は山でいつも見ている」と・・・(× ×;)
しまった!!いつも山に囲まれた生活していたんだっけ。場所によって紅葉の色も違い・・・。でも一緒に行動することに意義があると・・・・・。喜んでくれると思ったのに・・・・。その一言でがっくり!!
いつの時も状況判断は大事!!相手が何を望んでいるのかを良く状況把握しながら・・・。
でも、でも楽しかった一日でした。
                                       (タチバナ)

2011年11月28日月曜日

懐かしい話2

看護学校時代の話で、も~随分昔の話です。
私の学生時代は全寮制でした。バイトは禁止・門限22時(だったと思いますが・・・・・)夕食の時間は17時だったと思います。バイト禁止のはずでしたが、私達、実はしっかりバイトに行っていました。
そのため夕食の時間をどんどん早くしてしまったと言う実績が・・・・・・(*^ ^:
食事のメニューは寮生が考えて「おばさん」が作ってくれていました。後片付けは当番制。
おばさんは、私たちの好き嫌いまで把握していました。
ちなみに私は昔ピーマンが嫌いだったのですが、ピーマンの肉詰めのメニューのときは私のお皿には肉だけがのっていたり、チャーハンにはピーマン抜きで出してくれていました(*^ ^*)
いい時代だった・・・・な~んて思い出に浸ったり、それぞれの時代の寮生活の話で盛り上がったり・・・同じ釜の飯を食べた仲間が集まると・・・ほ~んと懐かしく・楽しく・涙が出るくらい笑える・・・
昔を懐かしむのはそれだけ年をとったということか・・・・・・・でも懐かしいいい時代。
         (hata)

2011年11月27日日曜日

思えば思われる

病院の廊下に張り出された写真の中に、かわらやぶきの農家の軒下に吊るされたみずみずしい大根や、紅葉の山をバックに鮮やかなオレンジ色に熟した大きな柿が誇らしげに写っています。
今、風評被害もあり、農作物は大変厳しい現状に立たされています。
安心して食べられる環境に一日でも早く近づけるように切に念じていたら、きっと思いは届くと信じています。
                           (かかしの子)

2011年11月26日土曜日

夜勤・・・

あ~疲れた(^^;・・・今日の夜勤・・・
だんだんと疲れが取れない年齢になってきた(T T)
準深勤務(16時~8時30分)1回やれば2日働くことになり体的には良いのですが・・・・・
ちょっと忙しかったりすると・・・・・歳でしょうか??・・・
でも、可愛い息子が待っているので疲れたなんて言っていられません!
母は頑張りたいと思います(^ー^)
            (秀樹の母)

2011年11月25日金曜日

遊SJーその1ー

10月2日に遊助のイベントに行って来ました!
7月に遊助のライブがあった時にグッズを買ってくじをもらって見たら、な・なんと「遊助と一緒にジャットコースターに乗れる」が当たった・・・・・・(((*^ ^*)))
なんていい日だろう! だってこのライブの日は、私の誕生日☆素敵な誕生日?になったかしら・・・
   つづく・・・・・・・・    さるっちん

2011年11月24日木曜日

談志師匠

昨日訃報が報道されていました。ここ数年間は病気との闘いという事は知っていましたが
最後は気管切開されていたのですね。噺家にとって声帯は命そのもの。
高座の後ろ席まで声が届かない時、師匠は引退を決意し既に実行していました。
引退後だったので切開も止む無くされたのでしょう。弟子達には見せたくないって
あの師匠らしいと思いました。
私の引退の基準は何かな?単に年齢ではなく、歩くのが苦痛になった時?
患者さんの名前が認識できなくなった時?って考えちゃいました。
                  9期生の☆彡)